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楽になる考え方のヒント

悩みから解放されるには心の悪循環を断ち切ろう〜【恋と仕事の心理学】より

みなさん、こんにちは!心理カウンセラーの大西三千男です。いつもありがとうございます。



アメブロの【恋と仕事の心理学】の月曜日「仕事の心理学」のコーナーの本日掲載分です。たくさんのみなさんに読んでいただきたいのでこちらでも掲載いたします。


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悩みを抱えている人はたいてい心の悪循環に陥っています。例えば、うつであったり、パニック障害であったり、漠然とした不安感であったり、悩みを抱えていると、どうしてこんなことになってしまったんだろうと思うし、早く治さなければと焦ってしまったりします。


ここで心の悪循環に陥ってしまって、焦れば焦るほど悪くなっていったりします。このとき、悪循環を断ち切って好循環に持ち込めれば回復が早まったりします。


心の悪循環とはどういうことか、好循環とはどういうことか、どうすれば好循環に持ち込めるのかを考えてみます。


心の悪循環とは?

うつにしろパニック障害にしろとても苦しいものです。苦しいだけに早く自分を変えなければいけないと思います。


早く元気になりたい。早く良くなりたい。この辛さがなくなればいいのに。この苦しさが消えてしまえばいいのに。このように考えます。


実は、そこには、いまの自分ではいけないという否定があります。うつで仕事ができないような自分ではいけないとか、パニック障害で電車にも乗れないような自分ではいけないとか。


こんな自分ではいいけないということは、いまそういう状態にいる自分は、価値がない、と思っています。


心の中では、早く良くなれよ、このままではいけないんだよ、という罵声をずーっと心の中で浴びせているのです。


もちろん、本人に罵声を浴びせているという自覚はないと思いますが、なぜ自分はこんななんだよ、と思っているということはそういうことなんです。


つまり、自分で自分を傷つけているということです。傷つけられているのですから、自分本来の力というものが出てきません。だから、苦しい。苦しいから、早く自分を変えなければと思う。



早く自分を変えなければいけない。

 

いまの自分ではいけない。

 

自分にダメ出しして自分を傷つけるようになる。

 

傷ついて自分本来の力(治癒力)が発揮できないので回復しない。

 

苦しい。

 

早く自分を変えなければいけない。


心の悪循環とはこのようなループが繰り返されるのです。



心の好循環とは?

心の悪循環は、早く治さなければ、という焦りが出発点でした。早く治さなければという焦りが自分を否定し傷つけていくのでしたね。


そこで、変わらなくてもいいや、と良い意味での開き直りをしてみます。


すると、

変わらなくてもいいいや。

 

いまの自分にOKが出せる。

 

自分を肯定できる。

 

自分の本来の力(治癒力)が発揮される。

 

楽になる。


という好循環が起こってきて、結果として良くなっていくのです。


ここでのポイントは、いま症状が出て苦しんでいる自分にOKが出せるかどうかです。うつで仕事ができない自分や、パニック障害で電車に乗れない自分に、いまはこれが自分の精一杯、だからこれでいい、と思えるかどうかなのです。



自分にOKを出すために

自分にOKを出すためにには、いまの自分を受け入れる必要があります。うつで仕事にいけない。パニック障害で電車に乗ることができない。という事実があるならば、いまの自分はそういう状態なんだと認めることが第一歩になります。


いままで何の問題もなくできていたことができなくなったとしたらこれほど悔しいことはないと思います。でも、そこで、なんて自分は情けない人間になってしまったんだと思うと自分を傷つけてしまう。傷つけないためにも、いまの自分はできないんだ、と認めることから始まります。


このとき、上がってくるのは、ともすれば自分はなんともダメで存在する価値のない人間だという思いかもしれません。


いままでできたことができなくなったわけですから、とても歯痒いことでしょう。そこにどう自分の価値を見つけるか?


たぶん、できないことがあるとしても、普通にできていた頃のあなたと比べても、頑張っているのはいまのできないあなたの方だと思います。できていないという結果だけをみて、自分は頑張っていないと結論づけてしまいますが、それは本当でしょうか?むしろ、普通にできていたことができなくなったからこそ、そこにかける力は以前の何倍も必要になるはずです。いまのあなたは以前の何倍も頑張っているはずなのです。ここを理解して欲しいと思います。


この辺りは、一人ではなかなか理解できないかもしれません。あなたを客観的な目で見てくれる人の言葉が、あなたを支えてくれるかもしれませんね。


あなたを支えてくれる人がお側にいないときは、カウンセラーがお役に立つと思います。心の悪循環を断ち切って好循環になり、楽な一歩を踏み出せるようにお手伝いさせていただければと思います。



きょうも、お読みいただきありがとうございます。

みなさまのしあわせをお祈りしています。 


反省という名の自己否定をしていませんか?〜【使えるビジネス心理学】より

みなさん、こんにちは!カウンセリングサービスの大西三千男です。いつもありがとうございます。

【使えるビジネス心理学】での本日掲載分です。たくさんのみなさんに読んでいただきたいのでこちらでも掲載いたします。


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仕事でミスや失敗をすることがあると思います。誰しも、ミスや失敗をしたいわけでもないし、しようとも思っていないと思います。でも、やはり、起こってしまう。


ここでよくしてしまうのが、反省という名の自己否定です。自己否定ばかりしていると傷ついてしまう。自分で自分を傷つけているのです。そうではなく、今回の失敗を、次に同じ過ちを犯さない糧にできたらいいですね。犯してしまった失敗が、失敗のまま終わるのではなくて、次へ向けての教訓になるからです。


反省という名の自己否定で自分を傷つけるだけで終わらないために、そして失敗を次に生かすためにどうしたらいいのかを考えてみましょう。



反省がいつの間にか自己否定になってしまっている

失敗を犯したとき、どうしてこんなことになったんだろう?何がいけなかったんだろう?と考えます。原因分析です。


反省には原因分析が不可欠ですが、それは自分の行動を見直すためにするのです。自分の行動の中に至らない点があった、やるべきことが抜け落ちていた点があった、それがどこかを知るために行います。


ところが、そこを見つけた途端、どうしてやらなかったんだろう?そこでやっていればこんなことにならなかったのに、とやらなかった自分を否定し出します。


自分の問題行動を見つけた瞬間に、自己否定が始まるのです。ああしておけば良かった、こうしておけば良かったと思っても、時間は元には戻りません。犯した失敗がなくなることはないのです。


やっておけばこんなことにならなかった。うっかりしてた。取り返しのつかないことをしてしまった。自分なんて最低だ。自分はこの職場にいない方がいいんだ。


自己否定が始まると、思いはだんだんエスカレートして、最後には、いる意味がないとそこでの自分の存在そのものを否定したしてしまいます。



客観的な視点を持つ

どうしてやらなかったんだろう?とやらなかった自分を責め始めるのですが、ここで、客観的な視点を持って欲しいと思います。


ある行動をひとつしていれば失敗は起こらなかった。であれば、やっておれば良かったのにと、過去の自分を責めるよりは、失敗を防ぐためのひとつの行動を、忘れないで行えるようにするにはどうすればいいのかということを考えてみる。


失敗したときに、だからどうするのかを考えないと、次も同じ失敗を繰り返すかも知れません。失敗したときに大事なことは、だから次はこうすると言うことを決めることだと思います。


すると、してしまった失敗も次に生かせることができます。だから、自分を責める前に、自分の行動を客観的に見つめてみましょう。何ができたのか?何をしていたらその失敗は起こらなかったのか?


自分を責めても失敗は戻りませんが、客観的に見つめて、何ができたのかを考えることで次に同じ失敗をすることはなくなります。



反省とは改善点を模索すること

失敗したときに思いがちなのが、こんな失敗をした自分はダメな奴だ、という思いです。自分の人格否定が出てきます。


でも、行動は反省しても人格まで否定することはないと思います。失敗をしなかった人はいないと思います。誰しも、少なからず失敗をしている。


しかし、失敗から立ち直れない人もいるし、失敗からすぐに立ち直れる人もいる。その違いは、やってしまった失敗を受け入れられるか、受け入れられず自己否定で終わってしまうかの違いではないかと思います。


失敗イコールダメな自分と思うのか、失敗イコール何か足りない行動があったからそこを改めようと思うかの違いだろうと思います。


前者は失敗で自己否定をしているだけですが、後者は自己否定ではなく自分の行動に改善の部分がないかを探そうとしています。


反省は必要ですが、それを自己否定に結びつけないでください。反省とは、自分の人格を否定することではありません。自分の行動を見つめて、改善できるところはないかと模索することです。


お読みいただきありがとうございます。

みなさまのしあわせをお祈りしています。




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わたしは愛されなかったと思うとき、本当にそこに愛はなかったのか?

みなさん、こんにちは!心理カウンセラーの大西三千男です。いつもありがとうございます。


愛の形というものについて考えてみたいと思います。わたしたちは、自分は愛されていないんだ、と思って悲しくなることがあります。孤独感を感じたり、絶望を感じたりすることもあるでしょう。


しかし、そこに本当に愛がなかったのでしょうか?愛がなかったのではなく、上手な愛し方をされなかっただけかもしれません。


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愛の形

愛の形というのはいろいろあるようです。子供には甘い顔を見せずに、いつも厳しく接するという親もいれば、放任主義で子供のやりたいようにさせるという親もいる。どれが正解というのはない。どちらも愛があったのだが、その愛し方が異なっていたということだろうと思います。


お父さんに、一緒に遊んでもらったことがない、顔を見たらガミガミ小言ばかり言われた、という人もいるでしょう。


お母さんに、学校の宿題ができるまでひとり夕食を食べさせてもらえなかった、という人もいるでしょう。


いくつもの塾通いをさせられて、友達と遊ぶ時間がなくて楽しいことがひとつもなかった、という人もいるでしょう。


一方で、行きたいと言えば塾に行かせて、行きたくないと言えばそれを尊重するお母さんもいるでしょう。


夕食は家族全員が揃って談笑しながら食べるという家族もあると思います。


いろんな愛の形があるのです。



愛されたいように愛されなかった

しかし、子供からみたときに、わたしは愛されなかった、と思うことがあります。それは、自分がして欲しいように愛されなかったから。


ガミガミと小言ばかり言わないで、たまにはキャッチボールを一緒にして欲しかった。


塾通いを強要して欲しくなかった。もっと友達を遊ぶ時間を与えて欲しかった。


夕食はみんなと一緒に食べたかった。


愛して欲しいように愛されなかったとき、少しもわたしを愛してはくれなかった、と思って寂しく感じてしまったりします。そこに愛はなかったのでしょうか?



ひょっとしたら愛だったのかもしれない

どうしてガミガミ小言ばかり言ったのでしょう?小言を言えば嫌われるに決まっています。嫌われてもそうした方が子供のためになると思ったのではないでしょうか。小言を言って、やっていいこと、やってはいけないことを教えていたのかもしれません。


たくさんの塾通いをさせたのも、宿題がすむまで夕食を食べさせなかったのも、誰よりも良い成績をとって欲しかったからかもしれません。どうして?将来、お金で苦労しないために。


愛がなければ、何もしなければいいのです。嫌われることも憎まれることもありませんから。でも、嫌われることを承知でするには、そこに何らかの意思があると思います。


子供の将来を考えてのことかもしれません。将来苦労しないように、いま、厳しくしておくのだということかもしれません。



親も未熟だったのかもしれない

やり方はとても未熟だったかもしれません。力ずくでさせようとしたとしたら、稚拙と言わねばならないでしょう。でも、それはお父さん、お母さん自身が、親として未熟だったから。


優しくしていたら言うことを聞いてもらえないと思ったかもしれません。だから、厳しく厳しく接しないと思ったかもしれないのです。


上手なやり方がわからなかったのです。なにしろ、親として子供を育てるという経験がほとんどなかったから。手探りの子育てだったのです。こういうやり方が一番いいと思ったのでしょう。



もし、愛があったとしたら・・・

「自分は愛されなかった」という思いがあったとしたら、「ここに愛があるとしたら」という前提で考えてみて欲しいと思います。


「自分は愛されなかった」という思いがあるとしたら、それは本当に未熟で未熟な親だったのかもしれません。愛し方は間違っていたかもしれないが、そこに愛がなかったのではなく、愛し方を知らなかっただけかもしれないです。


「もし、愛があったとしたら・・・」という前提で考えてみると、また別の一面が見えて来るかもしれません。



自分は愛されなかったと思うとき、それは自分のして欲しいような愛され方をしてもらえなかったということかもしれません。

そこに愛がなかったということではなく、愛の形が望むものではなかっただけ。だから、その愛を受け取れなかった。拒んでしまった。

あれも、これも、愛だったのかもしれない。



きょうも、お読みいただきありがとうございます。

みなさまのしあわせをお祈りしています。 





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自分は毒であるという「思い込み」を手放す

みなさん、こんにちは!心理カウンセラーの大西三千男です。いつもありがとうございます。


誰しもが持っているであろう思い込み。自分は、こんな人間だ、と無意識に思っていることです。良い思い込みはしあわせをもたらせてくれますが、悪い思い込みは不幸せを導いてしまいます。いいイメージの「思い込み」を持てるようになると人生が好転するかも知れません。


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自分はこんな人間であるという思い込み

自分とはこういう人間である、と固く信じている方がいます。もちろんそれは悪いことではないのです。

「わたしは運の良い人だ」

「わたしが困った時には助けてくれる人がいつも現れる」

「わたしはしあわせ者だ」

「わたしは恵まれている」

「わたしは誰からも愛される」

こういう思い込みを持っている人は、自分はもちろんのこと、周りの人にも良い影響を与えることが多いようです。こういう思い込みはとても良いものです。


ところがこういう思い込みばかりではありません。

「わたしがいると人に迷惑をかけてしまう」

「わたしといても退屈なだけだ」

「わたしは誰の役にも立たない」

「わたしは不幸だ」

「わたしを好きになってくれる人は誰もいない」

自分のことをこのように見ている方もおられます。自分という存在が、まるで毒であるかのように思い込んでおられるのです。


良い思い込みは幸せをもたらしてくれますが、悪い思い込みは不幸せをもたらしてしまいます。


悪い思い込みの悲劇

思い込みというのは信念です。疑いようのないものなのです。ですので、いったん思い込みが出来上がると、周りの人がその思い込みを、そういうことはないよ、といくら言ってくれても信じることができないし、心にもないことを言って慰めようとしているとさえ思えてくることもあるようです。


思い込みの悲劇とは、自分で不幸せの種を集めては、せっせと蒔いているというところにあります。周りの人の言動にはいろんな場面がある。時と場面で余裕のない人もいるでしょうし、イライラしている人もいる。いつもいつも穏やかで優しい人ばかりではないのです。


優しくされた場面があったとしても記憶に残らず、余裕のなかった人に辛くされた場面だけが記憶に強く刷り込まれます。その結果、悪い思い込みがますます強化されていくということになるのです。


「ほうら、やっぱり嫌われた」

「どうせわたしになんか、だれも手を貸してくれない」

「わたしなんていない方がいいのにきまってる」

こういう思いが強化されて、自分の周りには味方なんていない。どころか、敵ばかりと思ってしまうかもしれないのです。


悪い思い込みに支配されていると、悪い出来事だけが心に残る。その結果、それは自分が毒だからだ、と思ってしまう。そしてまた悪い出来事が起こって、やっぱり自分は毒と思う。それはまるで蟻地獄のようです。



悪い思い込みの連鎖

では、周りの人は、本当に毒である、と思っているのでしょうか?


自分のことを毒であると思い込んでいると、周りの人と距離を取りたいと考えるでしょう。自分の領域に入ってこないで、と考えると思います。自分と周りの人との間に、溝、ができることになります。周りの人が、毒、と思っていなかったとしても、なにか近づきがたいものを感じると思いませんか?


その近づきがたさは毒のせいではなく、自分が作った溝のせいなのに、自分が毒だからだ、と決めつけます。本当はその溝を埋めようと振る舞えば簡単に近寄ってきてくれるのに、そうはしないのです。なぜなら、毒と思い込んでいるから。まるで、自分で、作・演出・主演をやっている悲劇のようです。


自分はどのような思い込みを持っていますか?

悪い思い込みに縛られるとこのようなことになってしまう。みなさんは、どのような思い込みを持っていますか?思い込みが悪いわけではなく、良い思い込みはどんどん持って欲しいのです。


『わたしは〇〇な人である』

この〇〇にどんな言葉が入りますか?いくつもいくつも考えて見て欲しい。


みなさんは自分自身をどのような人と見ているのでしょうか?わたしたちは、自分は〇〇だ、と思っている通りの人間になっていきます。


悪い〇〇がでてきても構わない。そういう思い込みが自分にはあるんだということに気づけたということは素晴らしいことだからです。気づくことで、手放そうと意識できますので。



それって本当かな?

自分が持っている悪い思い込みに気づいたら、そこに疑問を投げかけて欲しいと思います。思い込みに疑いもなく、そうだ、と決めつけていますが、もしそうでなかったら?とかすかでもいいので疑ってください。


疑うことで、今度は、そうでない証拠探しが始まります。すると、そういえばこんな場面もあった、あんな言葉もかけてもらったことがあるということが浮かぶかも知れません。


悪い思い込みは、悪い出来事の証拠集めでで強化されたように、良い出来事の証拠を集めると、悪い思い込みはその通りではなかったのかも知れないという気持ちになれるかも知れないのです。



良い思い込みを増やしていこう

『わたしは〇〇な人である』

そして、〇〇に理想の自分、なりたい自分をあらわす言葉がたくさん考えてみましょう。


悪い思い込みはどんどん手放して、良い思い込みをたくさん作って欲しいなと思います。人生が好転していくように。


きょうも、お読みいただきありがとうございます。

みなさまのしあわせをお祈りしています。





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嫉妬はチャンスかもしれない

みなさん、こんにちは!心理カウンセラーの大西三千男です。いつもありがとうございます。


みなさんは、嫉妬する自分を思い浮かべたとき、どんな気持ちになるでしょうか?


嫉妬というのはあまり心地の良い感情ではないかもしれません。妬ましい、羨ましい。そういうことを感じる自分が卑しいような、あさましいような、惨めなような、なんともいえない嫌な気分に陥るかもしれません。


しかし、嫉妬も一つの感情です。嫉妬を感じたら、キーッとなっておしまい、ではもったいないと思います。せっかく上がってきた嫉妬という感情を、じっと見つめてみるとその先に進めるヒントが見つかるかもしれません。見ていきましょう。


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嫉妬も感情、良い悪いはない

嫉妬なんてしてはいけない、嫉妬する自分であってはいけない、などと考える人は少なくないようです。しかし、嫉妬も感情です。感情に良い感情、悪い感情というのはありません。感情は出てくるもの、湧き上がってくるものですから、コントロールはできないのです。出てくる感情は受け止めてあげないといけない。見たくない感情だから、出てくるな、ではないのです。


嫉妬がでてきたら、どうして嫉妬が出てきたのだろう?何に嫉妬しているんだろう?そう考えてみると自分の望んでいることがわかってくるかもしれません。



二種類の嫉妬

嫉妬には二種類あると言われています。


一つは、自分の持っているものを失うのではないかという不安からおこるもの。例えば、パートナーがいるとして、そのパートナーが別の異性と二人きりで食事に行くというような場面。パートナーが心変わりするのではないか、離れていくのではないかという不安から嫉妬が沸き上がってきます。


二つ目は、自分が持っていないもの対する妬みひがみから起こるもの。例えば、同期入社の同僚が自分より先に課長になったというような場面。課長になったって、部長からどやされてしんどいだけだから俺はなりたくないし。と思おうとしても、嫉妬が出てきたらそれは本心ではなかったということになります。



大切なものだから嫉妬してしまう

さて、ここで考えてみましょう。嫉妬した対象。一つ目はそのパートナーを失いたくないという思いから。そのパートナーという存在は失いたくない大切なものであるということですね。かけがえないものということになりそうですね。二つ目の課長に昇進するということは、自分にとってとても大事なこと、当面の目標地点である、ということのようです。評価されたいという思いがあるのですね。


つまり、嫉妬という感情が起こるとき、それはあなたにとって大切なものなのですよ、と教えてくれているということですね。


人は、時として自分の望みが何なのかはっきりとわからないときがあります。嫉妬は自分の本心がどこにあるのかを教えてくれているということができます。



嫉妬の下に隠れている本心

こういう嫉妬があります。あなたに兄弟姉妹がいるとする。弟や妹がお母さんに宿題を手伝ってくれるようにおねだりしている。お母さんは仕方ないなあという感じでしぶしぶ手伝いだした。それを見たあなたは無性に腹立たしく上手に甘えた弟や妹に嫉妬が沸き上がる。


これも一つ目の愛するお母さんが弟や妹に取られるかもしれないという思いからくる嫉妬なのですが、どうして嫉妬するのかなあと、考えてみると、自分に禁止、制限をかけていたものが見つかったりします。あ、わたしも、弟や妹のように本当はあんな風に甘えたかったんだ、ということがわかったりします。つまり、宿題は自分でするものという観念があると、弟や妹が何の制限なくお母さんに甘えるのをみると嫉妬がでてきたりします。


でも嫉妬がでてくるということは、本心には、甘えたい、手伝って欲しいというのがあったのではないかと思います。別に宿題でなくて良いわけで、要はお母さんに思い切り甘えたいということだったのかもしれません。



嫉妬は自分の本心を知るチャンス

嫉妬がでてきたら、その下に本心が隠れています。その本心を受け入れてあげる。禁止、制限を緩めてやってもいいよと許可を出す。すると、同じような場面に出会っても、嫉妬は起こらなくなります。


嫉妬はチャンスなのです。自分の本心に出会えるチャンスなのです。どうして嫉妬するんだろう、わたし、と考えてみてください。そして本当に欲しいものを欲しいと認める、制限、禁止をしていたのであれば、緩めてみるということですね。


嫉妬はあなたが制限をかけて禁止していることを教えてくれているのかもしれません。禁止しなくてもいいよ、ということなのかも知れませんね。嫉妬が湧いてきたら、自分の本心はどこにあるんだろうと考えてみてください。


きょうも、お読みいただきありがとうございます。

みなさまのしあわせをお祈りしています。





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自分の資源を棚卸しする

みなさん、こんにちは!心理カウンセラーの大西三千男です。いつもありがとうございます。


昨日は、自分の力でどうにかできることとどうにもできないことがあるんだよというコントロールついてお話ししました。そして、コントロールできるもの、それは「いまの自分」であるということ。だから自分のできることを考えてみましょうとお伝えしました。


自分がコントロールできるものを少しづつ増やしていく。そうすると悩む気持ちは減っていき、希望や期待といった明るい気持ちが出てくるのではないかと思います。では、そのための一歩をどう踏み出したらいいのでしょうか?


一歩踏み出すために探して欲しいものがあります。それは、自分が持っている資源。資源には、自分の中にあるものと自分の外にあるものがあります。自分が持っている資源を一度棚卸ししてみましょう。


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自分の中にある資源

自分の中にあるもの。それは、自分の強み、才能、能力、経験、スキル、興味、関心、特徴。


あなたが、どういう人で、どんなことに興味関心があって、何を喜び、何をしているときに我を忘れて夢中になれるのか?あなたがあなたらしくいられることです。


また、これがあったから助かった。これのおかげで切り抜けることができた。というものです。どんなものがあるでしょうか?


こういうと、即座に「ありません」と答える人が出てくるのですが、それは見たくないと思っているだけかもしれませんね。あなたの中や周りのこういう部分に目を向けて欲しいなと思います。


ない、と決めつけるのではなくて、なにがあるのだろう、という視点で探して欲しいと思います。本当は、とてもたくさんあるはずですが、あなたにとっては当たり前すぎて、道端に転がっている石ころにしか見えないのかもしれません。本当は、とてもありがたい宝物なのに。じっくりと目を凝らして探して欲しいと思います。あるのです。


自分はどんな性格ですか?あなたが好き、嫌いに関係なく考えてみてください。仮にあなはは嫌いと思っているとしても、その部分の良い面を考えてみてください。


どんなこと、どんなものが好きですか?得意なことは何ですか?

人からどのように言われることが多いですか?

あなたが没頭してしまうことはどんなことですか?夢中になれることは何ですか?

インターネットでよく検索することは何ですか?



自分の外にある資源

自分の外にあるもの。

家族、友人、仲間、上司、部下、先輩、後輩、隣人、先生、得意先、顧客。

あなたがいつも挨拶する人はだれですか?

気にかけている人はだれですか?

だれと相談しますか?

だれから相談されますか?

だれとお喋りしますか?


これらの質問はほんの一例です。資源は何かなあ、と考えても見つからないかもしれませんが、いろんな質問を自分に投げかけてみると意外な答えが浮かんだりします。すると、こういう資源もあるのか、と気付けることがあると思います。



自分が持っているものに気づく

資源の棚卸しをする目的は、自分が持っているものに気づくことです。


わたしたちは、自分は何もできないし何も持っていない、と悲観的になることがあります。でも、この棚卸しをすることで、自分にはたくさんのものがあるし、たくさんの応援者がいると気づくことができます。


気づくことで、心に余裕が生まれてきます。余裕ができて初めて、何かを始めてみようかなという一歩を踏み出す勇気が出てくるのです。


せっかく資源を見つけても、これぐらいで、と否定しないで欲しいと思います。それがどれくらいのものであるとして、あった分だけは、あなたの資源なのですね。人と比較する必要はないのです。あの人と比べたら全然少ないからとても資源と言えません、と思う必要はありません。あの人と比べて少なかったとしても、いまはそれがあなたの資源なのです。



資源をどのように有効活用できるか考えてみる

さて、自分にどれくらいたくさんの資源があるか理解できたでしょうか?


わたしたちは、いまできることしかできませんが、出来もしないことをやろうとして挫折してしまうことが多いと思います。足し算引き算を習っていないのに、いきなり掛け算割り算はできません。ものには順番があります。


つまり自分が持っていない資源は使えないのです。だからまず自分の資源を良く見つめる。その中で、あなたが気になるなるものが踏み出す一歩になるのではないかと思います。


いまのあなたにできることがある。それは些細な一歩かもしれませんが、でもそれがいま踏み出す一歩なのです。些細なことでいいのです。その一歩がやがてとてつもなく大きな一歩に結びついていくのです。


こんなことくらいやってどうなるものでもなし、と無視しないでください。その一歩はとてつもなく大きな可能性を秘めているのですから。


きょうも、お読みいただきありがとうございます。

みなさまのしあわせをお祈りしています。





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 自分がコントロールできることとできないことを見極める

みなさん、こんにちは!心理カウンセラーの大西三千男です。いつもありがとうございます。


昨日、悪いことが起こったとき、そこから早く立ち直るために、ネガティブな感情が上がってきても否定せずに、寄り添ってあげましょう。そして、ネガティブを感じても、それに囚われてはいけませんよ、ということをお話ししました。


今回は、自分のコントロールできることとできないことを見極めるということについてお話しします。自分の力でどうにかなることと、自分ではどうしようもないことがある、ということを理解してみようということです。


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あなたはどの時間軸を生きていますか?

わたしたちは時間軸を自由に行き来することはできません。「いま」という瞬間に生きています。「いま」と思ったこの瞬間も次の瞬間には過去となって過ぎ去ってしまいます。


ところが「いま」という瞬間に生きているわたしたちの心は、往々にして、過去や未来に飛ぶことがあります。むしろ「いま」にいない方が多いかもしれないのです。


「どうしてあの時あんなことをしてしまったのだろう」

「あの時もう少し勇気を出してやっていたら違う展開になっていたかもしれないのに」

心があるのは、過ぎ去った過去の時間です。でも、いくら悔やんでも戻ることはありません。過去に囚われすぎると後悔でいっぱいになってしまいます。


「この先どうなるのだろうか」

「先行きのことを考えたら不安で不安でたまらない」

心は、まだ来ていない未来にあります。未来に囚われすぎると不安や恐れが出てきます。



過去の後悔と未来の不安はコントロールできない

後悔と愚痴、不安や心配の多くは、過去と未来にありますが、これは自分ではどうすることもできません。コントルールできないことなのです。


もちろん、思うことがいけないというのではありません。心に浮んでくるのですからそれは仕方がないのです。でも、そこにどっぷりとはまり込んではいけないのです。自分ではどうしようもないことで思い悩んでいるんだなあ、と思って欲しいのです。


自分の心が「いま」にあるのではなく、コントロールできない過去や未来に行ってしまっているということを理解して欲しいのです。


それが理解できて初めて、心を「いま」に引き戻すことができると思います。



他人は変えられない

そして、もう一つ、自分ではどうしようもないことがあります。それは誰か他の人を変えようと思うことです。


「うちの上司、少しのミスしたくらいでキレないで欲しい」

「子供がもっと一生懸命に勉強してくれたらいいのに」

あの人が変わってくれたらいいのに、と思っても難しい。あの人にはあの人の理由があってそのように振舞っているのですから、あなた好みの人に変わってくれるというのは難しいことなのです。


そのコントロールできないあの人が変わってくれないかなあと思う限り、期待は裏切られ続けてしまいます。


あの人が変わってくれたら、という期待は手放した方がいいのです。



コントロールできるのは自分だけ

自分でコントロールできることなのか、コントロールできないことなのかを知るということ。それを見極めるということを意識して欲しいと思います。コントロールできないのにコントロールしようとしても、不可能なことをそもそもやろうとしているのですから、できないのです。


コントロールできないことは、置いておく。何もしないということです。その上でコントロールできるものだけに働きかける。何ができるかな?と考えてみるのです。意識をどこに向けるかなのです。コントロールできないところに意識を向けるとやるせなさが募ります。だから、そっちではなくコントロールできるものに意識を向けるということです。


では、コントロールできるものとは何でしょうか?それは「いま、現在」の自分です。過去の自分は終わったことですからコントロールできませんし、未来の自分も先のことですからいまは何もコントロールできません。


できるのは、いまの自分だけです。いま、何ができるか?いま、何をするか?これは自分で決めることができるし、することができます。唯一コントロールできることなのです。


コントロールできることを一つづつ行うことで、悩む自分から立ち直っていけると思います。それは、何か行うことで、ここに希望や期待が生まれるからです。光がさしくるのです。


まずは、コントロールできる「いまの自分」にできることを探して動いてみましょう。


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心理カウンセラー◆大西三千男
カウンセリングサービス所属カウンセラー。大阪地区担当。クライアントさまに寄り添い、ありのまま自分を受け入れ、自己価値に気づいていただくようサポートさせていただきます。気づきを得てもらうことで「腑に落ちました」「そう思っていいんですね」「安心しました」と好評である。

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