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2021年07月

猫的生活の勧め〜【コラム】より

みなさん、こんにちは!カウンセリングサービスの大西三千男です。いつもありがとうございます。

本日のカウンセリングサービスのホームページ【心理カウンセラーのコラム】の記事を担当させていただきました。たくさんのみなさんに読んでいただきたいのでこちらでも掲載いたします。


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我が家には猫が三匹います。


もともと野良猫だった親猫が、家の近くで子猫を産みました。子猫を連れてくるともれなく親猫もついてきました。


この親猫は黒いのでクロちゃんと呼ばれていました。クロちゃんが我が家に来るようになったのは、クロちゃんの旦那のパンチに連れられて我が家に来だしたからです。


もともと飼いたいなと思っていたのはパンチの方です。鳴き声がとても可愛いかったからです。手懐けようとミルクをやったら飲みに来るようになりました。かなり近くまで来るようになって、撫でてやろうとすると、目にも止まらぬ速さで猫パンチが出てくる。そのあまりの速さにそれ以降パンチと呼ばれるようになりました。


最初はパンチだけで我が家に来ていましたが、ある時からパンチとクロちゃんが二匹でよく顔を出すようになりました。一日のうち、何時間かを我が家の庭で過ごすようになりました。


数ヶ月して子猫出産騒ぎがあって、クロちゃんと子猫が我が家に引き取られました。パンチはというと、それ以降我が家にくることはありませんでした。


最初の日、わたしたちとクロちゃんの間に、なんとも言えない緊張感が漂っていました。クロちゃんのわたしたちを見る目にすごい警戒心がありましたし、わたしたちはわたしたちで、クロちゃんがとんでもない行動に出るのではないかという警戒心。


お互いが、警戒心を出してそれはそれは緊迫した感じだったことを覚えています。


飼った当初は、何回猫パンチを出されたことか。流血騒ぎも何度かありましたが、今となって、そういうことはなくなりました。


いま飼っているのは、クロちゃんとその子猫二匹の三匹です。猫パンチをたまに出すのが一匹いますけど、それも原因はわかっているので、基本、いい関係を築けていると思っています。


猫との生活が10年になりますが、これは見習いたいなあと思うことがあります。


猫はこだわりません。猫にはお気に入りの場所というのがあります。いつもいるところ。くつろげる場所。お気に入りの場所がぼくが座るソファだっりすると猫はぼくにのけられるわけですね。


のけられても、争うこともなく、スーッとどこかに行って、何事もなかったようにまた別の場所で寝そべっています。最近は、学習能力が出てきたのか、ぼくの顔を見ると自分からスーッと場所を移動していきます。ここでないとダメとか、ここは自分が先に場所をとったとか主張しません。


猫は起こったことを受け入れる名人です。受け入れた現状の中で何が一番快適かを選んでいるように思います。


受け入れるとは、起こったことをとやかく言っても仕方がない。終わったことだから。終わったことに固執するより、いまどうすることが一番いいことなのかを考えているように思います。


さて、ここでぼくに起こったある出来事の話をします。


先日、電車に乗っていると、急に音楽が聞こえてきました。けっこう大きな音なのです。うるさいなあ、と言う感じで音のする方を睨んでいる人が何人かいます。誰かのスマホからだと思います。操作ミスかなあ、と思っていたのですが、その音楽がなかなか止まりません。操作ミスか故意かも定かではないんです。猫ならどうするかなと、考えてみました。すると、少し行動が変わりました。


いつものぼくならこう考えます。


操作ミスであろうが故意であろうが、悪いのは音楽を鳴らしているそいつ。そいつが悪いのだからなんとかするのもそいつである。そいつが鳴っている音楽を止めるべきだ、と。


ところがこの考え方を突き詰めると、そいつがなんとかしようとしない限り、ぼくは、聞きたくもない音楽を、我慢して、ずーっと、聞き続けないといけない、のです。


ここで猫的思考をするとどうなるか?と考えました。


猫なら、自分が悪くなくても、不快な目にあっているのは自分だから、もっと快適な場所に移動しよう、と思うと思います。


つまり快適な車内で大きな音楽が鳴り出して不快な車内になっているのに、自分が悪くないのにと固執すると不快な車内に居続けないといけない。自分に原因がなくても、自分が乗っている車両を変えるという行動を取ることで、不快な状況を快適にすることもできるのです。


猫は意地をはりません。誰が悪いとも思いません。いまより快適になれるのであれば、自分から進んで快適な場所に移動します。自分が悪くないのに移動させられたとは思っていないでしょう。不快だから、自ら快適な場所に身を移したと言うことだと思います。


正しいのは自分で、悪いのはあっちなんだから、どうしてわたしが移動しないといけないの、と思うと、我慢するしか方法がない。確かに、正しいかもしれないが、結果は不快な状況は何も変わらないのです。


猫って、実に自由です。執着しません。正しい間違いも判断しません。ただ、快適な方を求めいる。そのためなら自ら動くことも辞さないのです。自ら動いたことで、動かされた、という変なプライドを持ち出すこともないのです。


ぼくは、うちの猫ちゃんたちならどうするかなと考えて、そうだ自らがこの不快な車両から、快適な隣の車両に移ればいんだと思って移動したら、音楽は聞こえなくなり、その嫌なこともすぐに忘れ去ることができたのです。なんとかしろという怒りが湧いてくることもありません。


こうやって、猫は、嫌ことをいつまでも引きずらないのでしょうね。嫌なことに遭遇したら猫ならどうするかな?と考えるといままでと違う行動ができるかもしれませんね。猫は、意地を張らず、快適を求めて行動できる達人だと思います。





大西三千男@心理カウンセラー
カウンセリングサービス所属。自己肯定感、生き苦しさ、自分軸、パートナーシップ、人間関係など。電話カウンセリングは初回無料(45分)で受けられます。詳細はこちら

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その選択でしあわせですか?

みなさん、こんにちは!心理カウンセラーの大西三千男です。いつもありがとうございます。


Twitterのつぶやきまとめです。みなさんの日常生活で何か気づきになれば嬉しいです。


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自分に寛容になる


自分を責めても、いいことは何もありません。

にもかかわらず、自分を責める人はとても多いです。

どうしてそんなに自分を責めるんですか?と尋ねると、こんな自分を許せないんですと言う。

許せないから責める。萎縮して、怖くなりそうです。

それよりは愛で包んでみませんか?

自分に寛容になりましょう。




その選択でしあわせですか?


しあわせな生き方を求めているにも関わらず、我慢の生き方を選択している人のなんと多いことか。

その選択でしあわせなんですね?と質問すると、しあわせとはちょっと違う気がしますという答えが返ってくる。

その選択でいいんですか?と、改めて自分に問いかけみてはいかがですか?


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いつまで我慢すればいいのか?


我慢の先にしあわせが待っている。そういうこともあるだろう。

でも、それはいつまで我慢すればいいのかという期限がわかっているとき。

期限のない我慢は苦しみを与えるだけ。終わりのない我慢を自分に課してはいけないと思う。

そんな我慢なら、もうやめよう。

自分を大切にしてあげよう。




そのままでいい


人はみんな、そのままの自分でいいのか、という不安を感じているように思います。

お話しして、そのままでいいんだ、ということが肚におちると、安堵される方がとても多い。

もう手放しましょう。自分自身をにセーフ、アウトというジャッジを下してしまうことを。

あなたは、そのままでいい。


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手放す


執着とは、何かにしがみついて固執している状況です。別れた彼。お金。仕事。自分のやり方。いろんなものに執着してしまいます。

両手に何かを握りしめている限り、新たなものを掴みむことはできません。いま握りしめているものを手放すと、新しいものを手に入れることができます。




どうありたいか?


執着するということは誰にでもあることです。

そこでするべきことは自分を責めることではなくて「まだ前の彼氏に執着しているなあ」と執着していることを受け入れることです。

その上で「終わったことは受け入れて、新しい彼氏を見つけて、しあわせになるぞ」となりたい自分を明確にすること。




きょうも、お読みいただきありがとうございます。

みなさまのしあわせをお祈りしています。


仕事が嫌だと思うとき、認めたくない本当に嫌なものとは?〜【使えるビジネス心理学】より

みなさん、こんにちは!カウンセリングサービスの大西三千男です。いつもありがとうございます。

【使えるビジネス心理学】での本日掲載分です。たくさんのみなさんに読んでいただきたいのでこちらでも掲載いたします。




「仕事が嫌で仕方がないんです。職場に行っても辛いだけだし、もうこんな仕事は辞めた方がいいんでしょうか?」

こんな相談を受けることがあります。


お話を伺っていると、新しい仕事を見つけて働く。最初のうちはいいんだけれど、やがて仕事が嫌になって、職場に行くのが辛くなってくる。そして仕事を辞めてしまう。こういうパターンに陥っているようなのです。


どうしてこういうパターンになっているのか?ここを理解しないと何度仕事を変わってみても同じ結果になってしまいます。


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職場で感じる何が嫌なのか?

仕事が嫌です。というとき、その仕事が嫌なのではなくて、仕事をしているときに見せる自分の態度、反応の仕方が嫌なのかもしれません。そのときに感じる感情がとても嫌なのだと思います。


わたしのサラリーマン生活の中でもそういうことがありました。今日は、会社に行きたくない。気が重いという日が何度となくありました。それが続くと、もう辞めたい、辞めてやる、という思いが頭をもたげてきます。


それは、仕事が嫌だからだ、と思っていますが、仕事そのものが嫌なのではなくて、仕事をしているときに感じる感情が嫌なのです。


例えば、上司、もしくは現場の古参の人に意見を押し切られる。無理矢理何かを強要される。自分の意見を言うことができなかったり、強要されたことを拒むことができなかった自分に情けなさを感じてしまったのです。


これは認めたくないことです。自分に情けない部分があるということは受け入れ難いと思います。


だから仕事が嫌だと思ったり、上司が悪い、現場の古参の人が悪いと考えます。自分に非があるのではなく、自分以外の周りに原因があると考えるのです。


この考え方では、変わる必要があるのは周囲ということになります。上司や現場の古参の人が、自分の接し方は悪かったと思って改めてくれるのは、そうそうあることではありません。彼らがいなくなったらいいのに、と思ったりしますが、そういうこともまずあり得ないのです。


職場を変わったり、転勤になったり、部署が変わったりということがある。新しい職場が物分かりのいい人ばかりなら言うことはありませんが、そういう人ばかりでないことの方が多いと思います。


周囲の人が自分の期待する人ばかりになることを望むより、自分の行動の仕方、考え方を変えた方が早くもっといい結果は出そうです。



自己否定をしない

自分の非を認めたくないという気持ちがあるものの、うまくできない自分、うまくやれない自分という現実を目の当たりにして、自分を責めるということがります。


そして、こうしないといけないという理想の自分を頭に描く。先の例えでお話しすると、相手が誰であれ、自分の意見を言えないといけないとか、嫌なことを強要されたら断れるようにならないといけない、ということ。


しかし、言えない、断れない自分がいるわけですから、これはいまの自分を否定することにつながります。


言えなくて、断れなくて、ただでさえ傷ついている自分に、どうして言えないんだよ、言えよとか、断らなきゃダメじゃないか、情けないなあ、という思いをぶつけたら、追い詰められて余計辛さが出てくるだけだと思います。


まず、言えない自分、断れない自分。自分という人間はこういうことが苦手な人間なんだなあ、と認めても良いと思います。


これは、そのままでいいんだということではなくて、頭から否定しても、それが、はい、わかりました、心を入れ変えます、とはならないのです。逆に、否定だけを向けられると自己嫌悪に陥り、前に進もうという気持ちになれません。


いったん、受け止めてあげる、という段階を踏まないと次のステップにはいけないのです。そうだね、言えないんだね、断れないんだね。そういう優しさがあるんだね、と受け止めるのです。


頭ごなしに、できない自分を否定して、情けないと評価してしまうと、辛さだけが残ると思います。これでは解決に向かっていけません。



誰かのためにやってみる

まず、自分を否定しない。これが、仕事が嫌だ、と思った時の解決の第一歩になります。


次に、自分がやっている仕事の意義を考えてみましょう。あなたがその仕事をすることで、助かっている人、恩恵を受けている人が必ずいます。


こういうと、自分のやっている仕事は別に誰がやっても同じことです。誰にでもできる仕事なんです、という人が出てきます。果たしてそうでしょうか?


それは自分がしている仕事を、自分で、つまらないもの、にしていると思います。


例えば、スーパーのレジ打ちの仕事があります。あの人にレジ打ちしてもらいたい、と待っている人が多いにもかかわらず、その人のレジに並ぶこともあるという話を聞いたことがあります。レジ中にかけてくれる一言が嬉しいからです。


こうなると、仕事自体は誰でもできますが、そのやり方は人それぞれに自分の色を出すことができる。色を出して初めて、あなただけにしかできない仕事になるのですね。


そういう努力もせずに、誰がやっても同じことですから、とは言わない方がいい。それでは、自分が仕事を面白くないものにしているとしか思えない。


あなたがすることで、助かっている人、恩恵を受けてる人。その人のために、自分の意見をいう。やりたくないことを断る。自分のためだけにそうしようと思うより、誰かのためにと思うと少し勇気が湧いたりしませんか?


あなたは一人ではありません。周囲にはいろんな人がいます。あなたのおかげで喜んでいる人がいるということを意識しながらやってみると、もう一歩出してみようという気持ちが湧いてくるかもしれません。


お読みいただきありがとうございます。

みなさまのしあわせをお祈りしています。




大西三千男@心理カウンセラー
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自分をどう愛そうか?

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Twitterのつぶやきまとめです。みなさんの日常生活で何か気づきになれば嬉しいです。


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自分をどう愛そうか?


自分のことが嫌いです、という人がいます。

しかし、自分のことが嫌いという人で、しあわせそうな人に出会ったことがありません。

しあわせを目指すには、まず自分大好きになることが先決のように思います。

自分をどう愛そうか、と思うところから始めてみませんか。




シャワーのように浴びせる


それ、言ってます。とよく耳にします。

喜びの言葉や、感謝の言葉や、ねぎらいの言葉など、言ってもらって嬉しい言葉は何度伝えてもいい。

シャワーのように、何度でも何度でも、繰り返し繰り返し伝える。

それで、ようやく「そうかも」と腹に落ちてくる。

良い言葉をシャワーのように浴びせてみよう。


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先を見過ぎない


何か行動しましょうというと、それができないから苦しいのに、という人がでてくる。

それは先を見過ぎている。

電車に乗れないのなら、駅まで歩く。

家の外に出る。

玄関のドアを開ける。

靴を履く。

外出用の服に着替える。

一歩先を見る。二歩も三歩も先を見ない。

やって何になる、とも考えない。




自分にあるものは何?


自分にあるものを棚卸してみませんか?

それは、自分の価値、魅力、らしさ。

あるものを、こんなもの、と過小評価しない、卑下しない。

辛さを抱えている人ほど、自分を認めない傾向にあるように思います。

誰も何かを持っている。必ずある。ないものにせず、そのままに評価して欲しい。


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話を聞く


行き詰まったとき、そこから抜け出す近道は、抜け出した人の話を聞くこと。

自分ひとりであれこれ考えても出てくる答えはしれている。

それよりも経験者の体験談を聞く。抜け出すきっかけは何だったのか?何が心の支えになったのか?

そこには沢山の知恵が詰まっている。参考になることがあるはずだ。




どんな自分も尊い


気分の上がり下がりがあって、すごく頑張れたかと思うと、気分が落ち込んでできなくなるときがある。

頑張れた自分も、何もできない自分も同じ自分。

頑張れた自分だから価値があるということはない。価値があるのはどちらも同じ。

頑張れた自分を愛せるなら、頑張れてない自分も同じように愛する。




きょうも、お読みいただきありがとうございます。

みなさまのしあわせをお祈りしています。


自己否定してはいけない理由と改善方法〜【恋と仕事の心理学】より

みなさん、こんにちは!心理カウンセラーの大西三千男です。いつもありがとうございます。


アメブロの【恋と仕事の心理学】の月曜日「仕事の心理学」のコーナーの本日掲載分です。たくさんのみなさんに読んでいただきたいのでこちらでも掲載いたします。



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「こんなわたしではいけない」

「こんなことではダメだ」

「こんな自分は許せない」

などと自分を否定することはありませんか?何かに失敗したり、自分より上手くできている人と比べたりして、自分を否定してしまうことがあります。同じような状況になっても「こんなこともある」と否定しない人もいるのです。自己否定はどうしていけないのでしょうか?どうやって改善、克服していけばいいのでしょうか?



否定からは何もいいことがない

否定ばかりすると、自己嫌悪が生じてきます。自分が嫌になってくるし、自分が嫌いになったりします。そして、こんな自分ではいけないんだなあ、という自信喪失につながっていく。


否定ばかりしていると、前に進んでいこうという前向きな気持ちにはなれないのです。否定することで叱咤激励しているつもりかもしれませんが、それが意欲的なやってみようという前向きな力にはなりにくいと思います。


肯定すると自分を甘やかしてしまいそうですと言って、自分を否定ばかりする人もいますが、それはちょっと違います。


肯定とは、いまの自分でいいから何もしなくていいということではなくて、いまの自分を認めた上で、そこからさらに成長を目指そうということです。


認める、前に進む。認める、前に進む。こういう循環が肯定することで起こってきます。否定から生まれるものは何もなくて、肯定することで前向きな自分になれるのです。



肯定されると自信が育む

わたしたちは愛情をかけて欲しい。愛されていると感じるとそれが成長していく力になります。


肯定されて愛情をいっぱいかけられて育った子供はのびのびとしています。それはそのままの自分でいいんだよ、と言われてきたからです。


人は成長していくものです。最初からできる人というのはいません。いまの自分にできないことがあるという理由で否定してはいけないのです。


なぜなら、成長段階だから。できる人にとっては当たり前でも、できない人から見れば難しいこと。だから「こんなこともできないの」などと言ってはいけないのです。


「こんなこともできないの」という言葉は、頑張ってみようという意欲をそぐ言葉です。それよりも、いまはこれでいい、と肯定する方がいい。それが前に進む力になっていきます。



否定は自信を奪っていく

自己否定は自信のなさと関係がありますが、最初から自信がないという人はいません。「ボクは自信がないので立てません」というような赤ちゃんはいないでしょう。転んでも転んでも立とうとチャレンジします。赤ちゃんには、できる、という自信が溢れているように思えます。


自信がなくなってくるのは、成長段階で否定の言葉を何度も何度もあびせられるからです。

「こんなこともできないの」

「どうしてそんなにやることが遅いのよ」

こう言った否定の声が自信を無くしていくのです。


大きくなるとその声がどこから聞こえてくるかというと、自分で自分を否定する声として上がってきます。

「こんなことではいけない」

「もっとしっかりしないと」

「情けない」

自己否定は、自分が持っている本来の力を奪ってしまう行為なんですね。



自分にかけている声に気づく

では、自己否定の習慣をどうやって改善したらいいのでしょうか?


自己否定している人は、自分が自分を否定しているという意識がないことが多いようです。習慣になっているから。


だから、自分が自分にどういう言葉かけているのかを、意識した方がいい。それは、肯定的な言葉なのか、否定的な言葉なのか?


自分が今日一日どんな言葉を自分にかけていたかを思い出す時間をとってみましょう。どんな肯定的な言葉をかけてあげたか?あるいはどんな否定的な言葉をかけてしまったのか?


これを習慣にすると無意識にかけている自分の言葉に気づくことができます。気づくから、改められるのです。


一日の終わりに自分にどんな言葉をかけてきたか思い出してみましょう。あなたは自分どんな言葉をかけましたか?




いまの自分を認めて次に向かう

いまの自分を受け入れる。それがどんな自分であってもです。そこが自分のスタート地点になります。人とは違うかもしれません。でも、それでいいのです。人と比較する必要はないのです。


人は人、自分とは違います。あの人にできることが自分にはできないかもしれない。その反対に、自分にできることがあの人はできないかもしれない。それぞれが持っているものが違うから当然のことです。


だから人と比べて劣っているなどと否定しなくてもいいのです。劣っているから学ぶチャンスなのです。


そのために、否定から入るのではなくて、肯定する。いまはこれでいい、ということです。まず、いまの自分を認める。認めてその上を目指す。いまの自分を否定して次の自分に向かえません。いまの自分にOKを出すから、次の自分に向かえるのです。


どんな自分が出てきても、受け入れ認めましょう。自分に大きな愛を向けて見てください。そうすることで理想の自分に近づいて行けると思います。



『否定から生まれるものは何もないと思います。

育てるということがまさにそれ。子供を育てる。ペットを育てる。花を育てる。いっぱいの承認を与える。もちろん、叱る時もある。でもその背後には何倍もの愛情で肯定している。

自分育て、ということも同じ。叱っても、最後はいまの自分に肯定を向ける大きな愛がある』



きょうも、お読みいただきありがとうございます。

みなさまのしあわせをお祈りしています。




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自分のために何かをする

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継続が変化をうむ

「こんなことくらいで」と思うけれど、やるやらないで将来に大きな違いがでてくる。

その大きな違いというのは、日々のほんの些細なことの積み重ね。そのときは何の変化もない。やってもやらなくても一緒。

でも、それが積み重なったとき大きな変化が出るんだなあ。




質問が自分を導く

自分にする質問というのはかなり大事。

質問次第で向かう方向が変る。

何故こうなったんだろう?は過去を掘り返す質問で、後悔も出る。

もちろん、過去を振り返って原因を知ることは大事。でも、そればかりだと苦しい。

何ができるかなあ?は今に意識を取り戻す。新たな未来にも目を向けてみよう。


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自分のために何かをする

明日からの自分のために、きょう何かひとつやりませんか?

キッチンに立ったとき、目を癒してくれるように花を一輪飾る。

怒りや不安を助長するテレビや新聞から自分を遠ざける。

5分間静かな音楽をかけて心を穏やかにする。

マッサージで心と体を労わる。

明日につながる惰性でない何か。




どんな気持ちになりますか?

手に入れたいものが手に入ったとき、どんな感情を感じますか?

先取りして、感じるであろう感情を感じてみましょう。

嬉しい。楽しい。満足。達成感。喜び。笑み。自信。高揚感。感謝の気持ち。

感情が先。現実はタイムラグがあって、後からついてくると言われています。

感じられるから手に入る。


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否定しないとは?

自分を否定しないとは?

後片付けが苦手なわたしはダメと否定ではなくて、後片付けが苦手なわたしだけど、まあいいか、と認める。

否定しないとは、変わらなくてもいいということではない。いまの苦手な自分というのを認める。

認めた上で、なったら嬉しいゴールを決めて、そこを目指す。




学んだら、やる

一歩、半歩でもいいです、とにかく踏み出しましょうということを何度となくお伝えしています。

知っているというだけでは何の役にも立たない。知っているだけでは何も変わらない。

きのうと違う一歩を踏み出すことが、やった人に成長をもたらします。

学んだら、やる。学んだら、やる。その繰り返し。




きょうも、お読みいただきありがとうございます。

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正しい方を選ぼうとするより楽しそうな方を選んでみると上手くいきやすい

みなさん、こんにちは!カウンセリングサービスの大西三千男です。いつもありがとうございます。


クライアントさんのお話を聞いていて、どうしたらいいのでしょう?どちらを選んだら正しいのでしょうか?とアドバイスを求められることがあります。


難しいですねえ、とわたしも困ってしまいます。クライアントさんが何日も何日も悩みに悩んだ問題だから、ご自分でも判断しかねてご相談をしてこられたということも理解はしているのですが、このようにお尋ねになるのには正しい方を選びたいということを求められているからなのかなと思うのです。


しかし、そのときに正しいと思っても、あとになってあっちの方が正しかったと思うこともあります。正しいか間違っているのかということは先にならないないとわからないことの方が多いのです。


では、それでは選択するのが怖くなってきたりしますが、ここでもう一つ別の選択の基準があります。それは、楽しい方、楽しそうと感じる方を選んでみるということです。


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毎日が選択の連続である

わたしちは毎日毎日、いろんな選択をしながら生活しています。


きょうは、何時に起きる。

どの通勤電車のどの車両に乗る。

お昼ごはんは、どのお店に行って、何を食べる。

仕事で、この案件に対していくらで見積を出す。

上司に対して報告しにくい問題が発生したけど、どのような対処をする。

喧嘩した彼からlineが来たけど、すぐに返信する、それとも時間をおいてから返信する、スルーする。


まあ、このようにいろんな選択をしています。その大半の選択は、毎日行っていることなので半自動でされているかもしれませんが、それでもきのうと同じにする、という選択をしていることになります。



正解、不正解は刻々と変化する

ところが、人生の一大事と思える選択もあります。


どこの学校に進むのか。

どんな仕事に就くのか。

どのパートナーを選ぶのか。

仕事を辞める、辞めない。

離婚する、離婚しない。


他にもいろいろあるでしょう。自分の人生を左右すると思える選択ほどなかなかすぐには決められない。当然のことだと思います。いろんな人の意見を聞く、というのも良いと思います。


だからと言って「どれが正解なんだろう?」ということにこだわると選択することが怖くなってくると思います。そもそも「正解」というものがあるのだろうかとも思います。


例えば、就職。

とある業界の大手企業と、中堅企業に応募してどちらも採用になった。最初は面接官の人柄と会社の風土が気に入り、将来性も感じて中堅企業に入ろうと思っていたけど、いろいろと相談するうちに、大手企業は給料面や福利厚生などあらゆる面で抜きんでているからそっちの方がいいよと言われて大手企業に決めた。ところが、10年たち、20年たち、入った大手企業は業績がだんだんと落ちてきてリストラを断行することになり自分がその要員になってしまった。


このような例は稀かもしれないけど、ないことではないと思います。その時、正解と思ったけれど、何年か経ち、この判断は間違っていたのではないか思うことがあるのです。あるいは、また何年か経ち、やっぱり正解だったと思うこともある。人生はそのとき限りではないということですね。そして、正解、不正解もころころ変わることがあると思うのです。だから、正解を出そうと思うこと自体に意味がないのではないかと思うのです。



「楽しそう」と感じる方を優先してみる

わたしが相談を受けたときに、どれを選んだ方が良いと言うことはわたしには判断はできないけれども、こういうことを優先して選んだらどうですかということをお伝えしています。


それは、自分のなかで湧き上がってくる感情。思いです。

こっちが好き。

なぜかこっちが気になる。

やってみたい。

楽しそう。

ワクワクする。


正しい道より楽しい道を選んでみて欲しいな、と思うのです。


正しい道を選ぶと言うのは、間違っていたらどうしようという不安が元になって判断しています。楽しい道というのはそうではないですね。楽しい道を選ぶとき不安というのは微塵もなくて、ただ心躍る自分がいると思います。


人の心は、意識したものを引き寄せたがるようです。不安なことにならないようにと選んだ正解と思っているものは、実は不安と隣り合わせと言えるかもしれません。だから、自分の心が本当に喜ぶ方に目を向けた方が良いのではないかと思っています。


何を元に選ぶのか?ということが重要ではないか思っています。恐れ、不安を元に選ぶのか、それとも、喜び、楽しみを元に選ぶのか。こんなひどい目にあわないようにするにはどっちを選んだらいいのか、と思うのと、これをしている自分はどんな楽しそうなことが待っているのだろうか、と思うのでは、結果が違ってくるように思います。


正解と思ったものと楽しいと思ったりものが同じなら良いのですが、正解と思ったものが我慢を強いるものであったとき、辛さを感じることになります。辛さを感じた分だけ、それが不正解だとわかった時に後悔が出てくるのではないでしょうか。


楽しい道を選んだときはどうでしょうか?楽しそうな方を選んだのだから、我慢を強いるということはなかったと思うのです。



失敗したくない思うと失敗しやすいが、楽しそう思うと楽しいことに向かう

よく言われることですが、ゴルフで、池にいれないようにと思ってボールを打つと、見事に池に入ってしまう。池に入れたくないという思いが、思い切り池をイメージしてしまうからです。


どちらを向いて決めるかという方向性が非常に大事なのです。そのために、正しい間違いではなくて、楽しいそうな方はどっちだろうか?と考えて判断してもいいのではないかと思います。


何を判断基準にするかは自由です。正しい道より楽しい道を選ぶ。こういう判断基準もあるということを知っていただいて、なるほどと思っていただいたら採用してもらえればと思います。正解はないのですから。



きょうも、お読みいただきありがとうございます。

みなさまのしあわせをお祈りしています。




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心理カウンセラー◆大西三千男
カウンセリングサービス所属カウンセラー。大阪地区担当。クライアントさまに寄り添い、ありのまま自分を受け入れ、自己価値に気づいていただくようサポートさせていただきます。気づきを得てもらうことで「腑に落ちました」「そう思っていいんですね」「安心しました」と好評である。

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