みなさん、こんにちは!心理カウンセラーの大西三千男です。
アメブロの【恋と仕事の心理学】の月曜日「仕事の心理学」のコーナーの本日掲載分です。たくさんのみなさんに読んでいただきたいのでこちらでも掲載いたします。
コミットということについて、最近、ツイッターでしつこくつぶやいていたのですが、今日は、そのコミットについて考えてみたいと思います。
そもそもコミットって何?
なぜ、コミットをするのか?
どのようにしたら良いのか?
順を追って見ていきましょう。
コミットしてくださいと言われると嫌〜な気持ちになる人が多いようです。どうして嫌〜な気持ちになるのでしょうか?
まず、コミットすると聞いてどう言うことが浮かびますか?
何がなんでもやらなければいけない。
させられる。
守らないといけない。
途中で投げ出してはいけない。
許されない。
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・・・・・
コミットすることで、自分を苦しい立場に追い込んでしまうというようなイメージで持っている人もいます。しかし、自分を苦しめるものならわざわざコミットしようとは思わないですよね。
コミットとは自分の人生をより良いものにしていくためのものだと思うのです。ところが、そのコミットで苦しくなってしまうとしたら、コミットしたことが本来の自分の望みではなかったのかもしれません。
つまり自分ではやりたくないのだけれど、親が望んでいるからとか、こっちの方が将来の役に立つからとか、世間の目があるからとか、そういう自分の本心に反することを目指そうとしているからかもしれません。
わたしは、コミットとは自分の本心との約束だと思っています。こうなりたい、こいうものが欲しい、手に入れたい。それは親の望みとは違うかもしれないし、何の役にも立たないかもしれない。自分の心の底から上がってくる要求。本心である君はそうしたいんだね、だったら意識であるわたしもそれを目指すよ。これがコミットだと思います。
コミットするのは、目指すものを明確にするという意味があります。私たちはわかったつもりになる。自分では望むものが明確にあるつもりだけれど、それを言葉で伝えようとするとなかなか出てこなかったりします。それは、わかっているつもりで、自分のなかで漠然としたものでしかない。明確にすることで、これを手に入れようと具体的なイメージが広がっていく。
自分の行きたい目標地点を明確にする。ここにコミットする意味があるのではないかと思います。タクシーに乗っても行き先を明確にしないと走り出せません。あっちにフラフラ、こっちにフラフラでは時間だけが過ぎていきますが、行きたいところには近づきません。
コミットは何度も何度もした方が良い。なぜなら、わたしたちはしばしば、くじける、挫折する、あきらめるから。こういうことが何度もあります。やってもやってもうまくいかない。失敗する。心が折れそうになったりする。できない。
そういうときに自分の本心と対話をして欲しいのです。ここであきらめてもいいかなあ?ここでいろんな理由がでてきます。あきらめる理由です。あきらめることを正当化する理由です。
別に欲しくなんかなかったし。
わたしにふさわしくないから要らない。
それで本当にいいの?
できる、できないということは置いておいて、あきらめるということに納得がいくかどうかを問うて欲しいのです。あきらめるのは嫌だ、とあがってきたら、やっぱりこれを手に入れたい、と決め直す。それがコミットです。
無理と思ってもいい、できないと思ってもいい。泣き言うこともある。自分を責めたりもするだろう。自暴自棄にだってなる。いろんな自分が顔を出してくる。そこで、できないで終わるのか、やっぱり手に入れたいで終わるのかでは大きく違ってくる。
何を思っても良いけど、最後は自分の本心と対話して、正直になるということなんですよね。
繰り返しますが、コミットは自分を追い込むためにするものではなくて、より良い人生にするために行うものです。目指す方向をいつも意識するために行うのです。
望みを手に入れるために叱咤激励して頑張りつづでないといけないということはない。弱音を吐いてもいいし、くじけてもいい。
でも最後は、やっぱり手に入れたいよう、と決め直しをする。目指したいものに近づくんだという自分との約束をし直す。すると本心に安堵が広がっていくと思います。
きょうも、お読みいただきありがとうございます。
みなさまのしあわせをお祈りしています。