こんにちは!カウンセリングサービス所属の心理カウンセラーです。電話カウンセリングを中心に活動しています。初回は無料でお試しいただけます。詳しくは予約センターまでお問い合わせくださいね。
06-6190-5131 (受付12:00~20:30月曜定休)まで。

2019年07月

小さな感動を与える人になる

みなさん、こんにちは!カウンセリングサービスの大西三千男です。いつもありがとうございます。


最近、松下幸之助さんのことを書いてある本を読みました。「運命をひらく〜生き方上手松下幸之助の教え」という本田健さんの書かれた本です。


IMG_0019


ご存知でしょうか?松下幸之助さん。パナソニックという世界的電機メーカーの創業者です。2008年に現社名に変更するまでは松下電器産業と言っていました。


創業当時は、幸之助さんと奥さん、そして奥さんの弟のたった3人。まさにゼロからの出発で、いまや従業員数30万人に迫ろうかという世界的企業に育て上げたわけです。


幸之助さんは成功の秘訣を聞かれて、三つの要因をあげておられます。

家が貧乏だった。

体が弱かった。

学歴がなく頭が悪かった。


みなさんが、こんな境遇であればいかがでしょうか?この三つは成功の秘訣というより、成功できない理由にあげられることの方が多いのではないかと思います。


それを幸之助さんはこのように言われるのです。家が貧乏だったおかげで、子供の頃から商売に触れることができ、商売のノウハウを身に付けることができた。体が弱かったおかげで、自分ではできない時があるので、周りの人に任せようと思った。学歴がなかったからいろんな人に教えを請うことができた。世間一般にみれば成功できない要因を、成功の秘訣にかえられたのです。


ぼくはこの本を読んで、幸之助さんの成功の本当の秘訣は、幸之助さんが周りの人に与えたものが返ってきたからではないかと感じています。


幸之助さんは、自分より遥かに年下の若い社員に対しても教えを乞うと言う姿勢で話を聞いています。


幸之助さんと接した人は、大切にされていると感じたのではないかと思います。


こんなエピソードが紹介してあります。

秘書をつれて工場建設場所を随行の現地社員と視察したとき。お昼を過ぎていて、幸之助さんが「天気もええし、海岸で食べよう。きのう、わしな、お寿司やで握りを作っておいてもろたんや。」とゴザを広げてもってきたお弁当を秘書が配ろうとすると、

「紐で印してあるやろ、そっちは関東味で君らの分や」と現地社員との社員に渡して、「こっちは関西味やからわしらの分や」と味の違いにまで気を配ったのです。これが、お得意先のお偉いさん方ならわかるのですが、同じ会社の人間に対してなんですね。ここまで気を配ってもらったら、感動しないわけがないと思います。


このようなエピソードがいくらでも幸之助さんの周りの人から寄せられているのです。やろうと思ってやっていたのでは、ここまで感動してもらうようなことはできないのではないでしょうか。自然とそれが、周りの人すべての人にできているというのが驚きです。


このように幸之助さんがやったことは、相手に良く思われようとか、機嫌を取ろうとかそういう打算があってやられたことではないのではないかと思います。ただ、相手を思いやる心、真心、誠心誠意、この思いだけでされたことだから、相手の人の心を打つのではないかと思います。


された方は、ここまでしてくれたのかという思いが出てくると思います。それは、想像以上のことをされたから余計に心に響いたのではないかと思います。


その結果、接する人みんなが幸之助さんのファンとなっていったと思います。この人と一緒に仕事がしたい。この人のために仕事がしたい。この人についていったらどんな困難も切り抜けられるに違いないし、この人とだったら切り抜けることができる。この人の作る製品を買いたい、同じならこの人から買ってあげたい。


接する人がみんなこう思ったらどうなるでしょうか?自分のために頑張ることは知れていますが、人のために頑張る、それもこの人を喜ばせたいと思って頑張るときは、想像以上の力がでるものです。幸之助さんが、周りに与えれば与えるほど、それ以上のものを返してあげたとみんなが思ったのではないでしょうか?


幸之助さんのすごいところは、この与えるということが、自然に、なんの気負いもなくできたことかもしれません。ぼくたちは、ここまではできないかもしれないけれど、少しでも近づければいいですね。そのために自分の素直な心をもう少し見つめてもいいのかもしれません。自分が大きな愛ある存在と思った時に、こんなことをしてあげたい、こんな言葉を贈ってあげたい、こんな眼差しで見つめてあげたい。それを素直に表現できれば、少しだけ、幸之助さんに近づけるかもしれません。


きょうも、お読みいただきありがとうございます。

みなさまのしあわせをお祈りしています。


明日7/20より8月の電話カウンセリングの受付開始!

みなさん、こんちちは!カウンセリングサービスの大西三千男です。いつもありがとうございます。


明日7/20より、8月の電話カウンセリングの受付を開始します。

どなたでも初回の電話カウンセリングは無料でご利用いただけます。話してみたいなあとか、どんな人かなあ、と思っていただいたら一度お電話いただいたら嬉しく思います。お待ちしております。

7月の電話カウンセリングにもまだ空きがあります。よろしかったら、お電話ください。

よろしくお願いします。


IMG_0042


【8月電話カウンセリング】

8/1(木)2122

8/2(金)2122

8/4(日)10111516

8/5(月)2122

8/6(火)2122

8/7(水)2122

8/8(木)2122

8/9(金)2122

8/12(月)10112122  

8/13(火)10111516

8/14(水)15162122    

8/15(木)10112122    

8/16(金)15162122   

8/18(日)10111516  

8/19(月)2122

8/20(火)2122

8/21(水)2122

8/22(木)2122

8/26(月)2122

8/27(火)2122

8/28(水)2122

8/29(木)2122

8/30(月)2122


カウンセリング予約センター

電話番号 06-6190-5131

営業時間 12:00~20:30

定休日  月曜日(月祝の場合は翌火曜日)


初回電話カウンセリング・・・詳細はこちら

電話カウンセリング・・・詳細はこちら

  


さらにさらにI am OK.

みなさん、こんにちは!カウンセリングサービスの大西三千男です。


みたび、I am OK.について考えてみます。


自分を苦しめているどんな問題も、突き詰めてみると根底に自己否定が横たわっていて、エゴの発する自己否定に苦しみを感じているのではないかと思っています。エゴの声はいつももっともらしいので、そうかなあ、と思ってしまいます。


IMG_0073


例えば。

わたし「婚活中なんだけれど、会っても会ってもステキなパートナーにめぐりあわないんです。」

エゴの声「理想のパートナーなんて婚活市場に残っているわけないじゃない。他人から見たらあなただってそうでしょうよ。妥協しないとダメよ」


わたし「なんか人間関係がうまくいかなくて、仕事に行けなくなって、結局は仕事を続けるのが苦しくなって辞めてしまうんですよね。いい加減なんとかならないかなと思います」

エゴの声「多少のことには我慢しないといけないのよ。どうしてそれができないの。みんなうまくやっているのに。いつまでもそんなことではダメよ。本当に情けないんだから」


わたし「子供のことで悩んでいます。不登校になってしまって。このままではどうなってしまうのかと思うと心配で心配で仕方がないのです」

エゴの声「どこかで育て方を間違ってしまったのね。もっと厳しくしておけば良かったんじゃないの。子供一人、一人前に育てられないなんて親として失格ね」


エゴの声はいつもあなたを傷つけようとします。ここで、そうだよなあ、とあなた自身がエゴの声に納得してしまって、自分自信をダメな存在にしてしまうのでなくて、自分の価値を見つけて欲しいのです。


人生にはいろんなことが起こります。そのひとつひとつが神さまのくれたプレゼントかもしれません。これがプレゼントだって?こんなプレゼントならそんなものはいらないと言うかもしれません。でも、このプレゼントはわたしたちがもっと幸せになるためのアクセントだとしたらどうでしょうか?


映画やテレビドラマはどうでしょうか?主人公が、いろんな苦難に巡り合い、自分の力や周りの人の協力を得て苦難を乗り越え成長していく。そして大きな幸せを手に入れていきますね。


このプレゼントいうのは、あなたが成長するために不可欠のもなのかもしれません。プレゼントを手にして、いろんな感情が出てくるのだけれど、その時にどう自分を受け入れて、どう肯定できるか。


自分を否定していてはそこから抜け出せる力が出てこない。自分にOKを出すことで、一歩踏み出せる力が湧き出てくるのではないかと思います。


どうも人生は大喜利みたいなもののようです。神さまが、いろんなお題を出してくる。お題というのは、いじわるするような人が現れたり、お金に困ったり、病気で苦しんだりするような、どうしてこんな目に合わないといけないのというようなこと。


それに対してどういう答えを出してI am OK.と思えるか。神さまを唸らせるほどの回答をだして「うまい、座布団一枚!」と言わせたら神さまは、成長したなとすごく喜んでくれるようです。


神さまは、お題を出して、あとは知らんよ、とそんな冷たいことはしません。お題を出した以上は、答えを出すまで付き合ってくれます。ずーっと、あなたを見守っていてくれるのです。あなたの側をいつも寄り添うように歩いてくれています。


お題があまりにも難問すぎて、立ち往生するときがあるかもしれません。時には一人では歩けないかもしれません。そういうとき、神さまはあなたをおぶって、代わりに歩いてもくれるようです。あなたはひとりではないのです。


苦しみの中で、自分にどういう価値を見いだすか。どう自分にOKをだせるのか。それが出来たとき、今起こっている問題は解決に向かって進んでいくのかなと思います。だから、自分に出して欲しい。「I am OK.」を。


きょうも、お読みいただきありがとうございます。

みなさまのしあわせをお祈りしています。


I am OK.

さらにI am OK.


不安を手放したい

みなさん、こんにちは!カウンセリングサービスの大西三千男です。


いろんな不安があります。その不安に意識をずーっと向けていると苦しい。仮に、不安の元に変化がないとしても、どこに意識を向けるかで心が軽くなるということがあると思います。


IMG_0028


そんなこと気にするなよ、と人の不安には気楽に言えますが、それが自分に振りかかってくるとそういう訳にもいきません。ああでもない。こうでもないと頭を悩ますことになったりします。


ですが、このいっけん無責任に思える、気にするなよ、という言葉に、不安を手放すヒントが隠れています。どういうことでしょうか?


例えば、こういうことで不安になっている人がいるとします。

とても口下手で、あがり症。人前で話をするというようなことは何があっても避けたいと思っている人が、上司から、今度の会議であのプロジェクトの経過報告を説明してくれないか、と言われてしまった。


これを言われてからの、彼の頭の中は何を考えているでしょうか?おそらく、「どうして俺が発表しないといけないんだよ、他に適任者はいくらでもいるじゃないか。やりたくないなあ。うまく発表できっこないよ。人前で話すのは苦手なんだ。恥をかきたくないよう。どうしよう」とこんな感じだと思います。


不安とは、うまくいかなかったときのことを想像して、どうしようどうしようと思い悩んでいるわけです。すでにうまくいかなかったと、さもそれが真実であるかのように思い込んで自分を追いつめている状況といえるでしょう。


不安に感じている段階で、失敗したことが前提となっています。まだ、やっていないにもかかわらず、にです。こうなると考えることは悪い方、悪い方へと拍車がかかります。悪いことというのは、考えだすとさらに悪い考えが浮かんできます。とても悲観的な考えに支配されてしまうでしょう。


つまり不安に思えば思うほど、失敗したイメージが出来上がります。心の世界では意識を向けたものが手に入るという法則がありますから、失敗したくないと思えば思うほど失敗が近づいてくるということになるのです。


不安に思うということは、こうなって欲しいとう理想があるはずです。彼の場合、会議でプロジェクトの経過報告を滞りなく行うというものです。その理想の自分になるために、いまできること、しておいた方が良いことがあると思います。それが何なのか、それをまず明確にすることが、どうしようどうしようとうろたえるより大切なことではないかと思います。


不安に思うことに意識を向けるのではなくて、望む理想を考える。その理想を成し遂げることで、自分だけではなくて、自分以外にも喜んでくれる人が出てくると思います。彼の場合、発表を滞りなくすることでプロジェクトの意義が浸透し、上司が喜んでくれるでしょう。一緒にやっているプロジェクトのメンバーも喜んでくれると思います。


自分一人のためだけに行うのではなく、誰かのためにやる。そう考えると、不安に意識を向けて思い悩むより、心の中に光が出てくるかもしれません。


不安からは何も生まれません。少しづつ、そこに向いている意識を外してみる。誰が喜びますか?誰のためになりますか?あなたの力がその人を幸せにします。あなたがその人を幸せにできるのです。そのために何ができますか?意識をそこに向けてみませんか?


きょうも、お読みいただきありがとうございます。

みなさまのしあわせをお祈りしています。


自分の意見が言えなくて・・・

みなさん、こんにちは!カウンセリングサービスの大西三千男です。


人前で自分の考えや意見を言うのが苦手という人がおられます。そのような人にとっては、自分の考えを人に伝えるということ、勇気がいることだと思います。自分の考えを伝えようと思うといろんなことが浮かんできたりします。


IMG_0084


恥ずかしい。

笑われたらどうしよう。

変な人と思われないかなあ。

否定されるかもしれない。

怒り出す人がいるかも。


一方で、何の屈託もなく自分の思いを、浮かんだままに話す人もいます。そういう人を見ると羨ましいと思う時もあるし、どうしてあの人は平気で何でも話せるのだろうと不思議に思う時もあったりします。


人前で自分の考えを話すのが苦手ということで悩んでいるとして、そうなったのには理由があります。苦手な気持ちになってしまう何かがあったらからそうなったのです。ものには原因と結果があります。ある結果があるのは、その原因となる理由があるのです。


例えばこういう場合があります。

小学生の頃、授業参観日に先生がクラスの人に質問した。いつもは手を上げないのだけれど、きょうはいつもは来ない父親が来ていたので、良いところを見せようと思い切って手をあげたら指名されてしまった。元気に答えたら間違えていて、クラスの生徒が一斉にハイと手あげたのでいたたまれなくなって、どうして手を上げたんだろうと後悔した。


父親に良いところを見せられなかったという思い、間違えたという恥ずかしさ。答えようとしなかったらこういう思いにならなかったのにという後悔。いろんな思いがあって、もう人前では何も言わない、と決めたかもしれないのです。


そう決めたのにも理由があって、その時に感じた不快な感情をこれ以上感じたくなかったということかもしれません。こういう感情をこれから二度と感じたくないと思う。すると、そうするためには人前で自分の考えを話さないことにすると決めた、としても不思議ではありませんね。


それがは良かったかどうかは別にして、子供心にそれしかない、と思ったわけです。こういう嫌な感情を感じるのは今回だけで十分だ、これ以上こういう気分になるのは耐えられない、そうならないように自分を守ってやらないといけない、ということだと思います。


もし自分の中にこういう自分がいたとしたら、どうでしょうか?この自分は、自分自身を守ろうとしたのですね。とても愛おしくないでしょうか?とても健気な存在ではないでしょうか?


いま、人前で自分の考えを言えなくて、と悩んでいたとしても、そうなったのには理由があったのですね。その時は、それしかないと思ってやったのです。それを、浅はか、と責めないで欲しいと思います。その時は、一生懸命だったのです。一生懸命に自分を守ってくれてたんだ、と思って欲しいのですね。


こういうルールを決めたとき、それが最善、と思ったはずです。これしかない、と思ったのです。それから年月が経って、どうして人前で自分の考えを言えないのだろうと悩んでいるとしたら、その悩みだした時が、このルールを改定してもかまわない、ということだと思います。もう、このルールは自分にとっては、あわないものになっている、ということだろうと思います。


ルールというのはいつまでも守らないといけないということはないのです。都合の悪くなったルールは変えればいいのです。例えば、バレーボールのスパイク。昔は、アタッカーのスパイクが、相手方のブロッカーの指先に振れた時はワンタッチを取られていましたが、いまは取っていませんね。その方が面白い、ということで変えたのだと思います。


自分の中のルールもそうです。都合が悪くなったルールは変えればいいのです。ただし、その時に、どうしたてあんなルールを作ったんだよ、と否定しないことです。否定すれば、良かれと思って作ったその時の自分が可愛そうになるからです。


ルールを作った自分を認めてあげる。そうやって恥ずかしい目に遭わないようにと守ってくれてたんだね、ありがとう。でも、これからは自分の意見をはっきり言いたいわたしになりたいから、もうこのルールは改定するね。と否定ではなく、認めて、手放すということをやっていただけたら嬉しく思います。


都合の悪くなったルールは手放す。いまのわたしには、必要ありませんので手放します、と宣言してみましょう。そう決めると、そのように動き出します。


きょうも、お読みいただきありがとうございます。

みなさまのしあわせをお祈りしています。


いまのあなたにふさわしい〜【恋と仕事の心理学】より

みなさん、こんにちは!カウンセリングサービスの大西三千男です。

アメブロの【恋と仕事の心理学】の月曜日「仕事の心理学」のコーナーの本日掲載分です。たくさんのみなさんに読んでいただきたいのでこちらでも掲載いたします。


プロセスは完璧であるということを言ったりします。


あなたにとって、必要なことが必要なタイミングで起こるということです。それは、一見すると良くないことで、どうしてこんなことがと思うけれども、そこを抜け出したとき、こういうことだったのかと腑に落ちたりします。


IMG_0040


わたしの体験で例をあげてみましょう。


もう何年も前ですけど、当時、わたしはとある会社に勤めていました。その会社は転勤が多くて、1年で多いと2回も3回も転勤になったりする。独身のうちはいいけれど、結婚してまで勤め上げるところではないなと感じていました。


仕事はきつかったけれども、人間関係で悩むことはなかったのでズルズル来ていたのです。一緒にいる仲間が楽しかったからです。自分の中では辞め時を探していたのかもしれません。


ある時、転勤になりましたが、グループ会社が一つになって、それまで行ったことのない東京に転勤になりました。仕方ないなあと思いながら東京に赴任しましたが、すごく違和感を感じました。


歓迎されていいない感じ。お前、誰?という感じ。同じ会社なんだけど、完全アウェーを感じたのです。たぶんその時の同僚たちはいつもと一緒だったのでしょう。わたしが勝手にそう感じただと思います。


日に日にいたたまれなさを感じて、ひと月くらいの間に、辞めようと決心しました。来たばかりなのにとか、迷惑かけるかもというのは頭によぎりましたが、自分の感情に正直に行動しました。


その時に、次の仕事を決めようと就職活動もしました。たまたま見た就職情報誌のたまたま見てここと感じた会社に応募すると受かってしまいました。東京での採用だったにもかかわらず、関西に帰りますと言ったところ、近く関西でも応募しますから伝えておきますと言われて、関西で再度面接してこちらで採用となり、定年まで勤め上げることになります。結果として、辞めた会社より条件は良かったと思います。


後日になりますが、辞めた会社はその後、不祥事が原因で倒産してしまいました。


何度、当時のことを思い出してみても、わたしを次のステージに移動させるために起こったこととしか、思えないのです。


東京に行ったから疎外感を感じた。その時に、馴染まないといけないとこだわっていると辛いだけの毎日だったと思います。もう嫌だ、という自分の気持ちに正直になれたことが良かったのかなと思います。そこで、目に飛び込んできた会社に応募した。


採用になったけど、東京にいるつもりはなかったので関西に帰りますと伝えた。今思うと、東京で働くつもりがないのならどうしてそこで応募したの理解できないのですが、ここでも自分の気持ちに正直に行動したのですね。すると、不思議なことに周りが勝手にそのように動き出したということです。


これはわがままではないと思います。わがままとは強要することです。わたしは強要したのではなく、ダメなら仕方がないと思っていましたから。ただ、自分の気持ちに正直だっただけなのです。


いろんなことが起こるんだけれども、どうも起こることには意味があるようだと思ってもみると、そのときは最悪、と感じたことは、実はありがたいチャンスだったということかもしれないのです。


いまの職場、いまのコミュニティで起こっていること。それをここで解決しないといけないと躍起になる必要もないのかもしれません。なぜならば、そこから抜け出る必要があるから起こっていることかもしれないからです。


だからといって嫌なことがあった時に、なんでもかんでも辞めなさいと言っているわけではありません。起こっている意味というものを考えてもいいのではないか、そして、より広い視野で判断してもいいかもしれませんね、とお伝えしたいのですね。


プロセスは完璧である。いまのあなたにふさわしいことが起こっている。と思ってみてもいいのではないか感じています。


お読みいただきありがとうございます。

みなさまのしあわせをお祈りしています。 


『働かないアリに意義がある』を読んで

みなさん、こんにちは!カウンセリングサービスの大西三千男です。


わたしは、常々「わたしたちはそれぞれが個性でできていて、その個性に良い悪いはない」と思っています。


働き者のイメージのあるアリですが、それは全体の2割にすぎないそうです。後の7割はぼーっとしており、残りの1割のアリに至っては生涯働かないそうです。


IMG_0048


この本を読んで、コロニーが継続的に維持されていくには、個性の多様性が必要なんだ、というより、同じ個性ばかり(それが一般的に優秀といわれる個性ばかりであったとしても)だとそのコロニーは効率的であったとしても、やがて消滅していくかもしれず、多様性って必要なんだなと感じました。


反応閾値(はんのういきち)という尺度があります。これは仕事に対する腰の軽さということです。フットワークとも言えます。人間で例えます。几帳面な人がいて、机が少しでも散らかっていると片付けないと気がすまないという人は、反応閾値が低いということになります。一方、大雑把な人がいて、机にものが乱雑に積まれていても気にせず片付けようともしない人は、反応閾値が高い、つまり鈍感な人ということになります。


では、この鈍感な人は片付けができないかというとそうではなく、ある一定の水準にならないと片付け始めないということなんです。つまり、人によって、片付ける、という行動にでるまでに個体差があるということのようです。


これが、つまり個性なわけです。でもみんなで一斉に片付けたほうが早く仕事が捗ると思いませんか?それに、片付けないと気が済まない人はずーっと片付けをやらされている状況になると思いませんか?


実際、その通りになるのだそうです。ところが、コロニーという全体の継続を考えたとき、全体で同じことをやりだすと全員が疲れてしまい、働けないということになるのだそうです。


そのために、仕事量が少ないときは、反応閾値が低いアリ(敏感なアリ)がはじめて、仕事量が多くなるにつれて反応閾値が高いアリ(鈍感なアリ)もはじめる。そうすることでそれぞれのする仕事量に違いが生じますので、一斉に疲れて機能しなくなるということがないのだそうです。


働かないアリは、働けないのではなく、働かなくてはと反応しだすまでの数値が高いということなんですが、このアリが働きだすということは相当な仕事量になっているんだなと思います。このアリは、いわば、余力、ゆとりと考えられます。コロニー全体から見ると、働かないアリがいることで安心感があるのではないかと思います。不測の事態があったとして、まだ大丈夫という安心感ですね。


効率とかコストという側面からをみると、働かないアリは無駄に見えます。効率を考えてこの無駄を排除してしまうと、不測の事態が起きると対応できなくなる。コロニーの消滅ということもありえるわけです。働かないアリの存在が続いているということは、その必要があったからと言えるのではないかと思います。必要がなかったら進化の過程で淘汰されていたと思うからです。


人間社会はアリ社会とは比べものにならないほど複雑です。几帳面ですぐに片付けしたくなるとか、大雑把でよほどのことがないと片付けたくないというような個性だけでは成り立たないと思うのです。


働かないアリにも、アリのコロニーという社会から見れば、存在意義があるわけですね。わたしたちにもそれが言えるのではないかと思うのです。


わたしという存在はどうのこうのと考えますが、自分だけの観点からだけでは見えてこないものもあるのではないでしょうか?


あなたの持っている個性。それを受け入れて欲しいと思います。わたしは、こういう人。これが、わたし。隠さないで欲しいと思います。もっと、もっと見せて欲しい。それを必要とする誰かがいると思います。


きょうも、お読みいただきありがとうございます。

みなさまのしあわせをお祈りしています。


Profiles

心理カウンセラー◆大西三千男
カウンセリングサービス所属カウンセラー。大阪地区担当。クライアントさまに寄り添い、ありのまま自分を受け入れ、自己価値に気づいていただくようサポートさせていただきます。気づきを得てもらうことで「腑に落ちました」「そう思っていいんですね」「安心しました」と好評である。

Twitterでもつぶやいています。良かったらフォローお願いします。
読者登録
LINE読者登録QRコード