みなさん、こんにちは!心理カウンセラーの大西三千男です。いつもありがとうございます。
アメブロの【恋と仕事の心理学】の月曜日「仕事の心理学」のコーナーの本日掲載分です。たくさんのみなさんに読んでいただきたいのでこちらでも掲載いたします。
人と比較して、自分にはわからないことが多すぎます、と悲観される方がおられます。
「わたしはなにもわかっていません。みんなが勉強している間に、自分は遊んでばかりいたからです。もっと勉強しておけば良かったのに、と後悔しています」と言う訳です。
わたしは、わからないことがたくさんある、ということは素晴らしいことではないかと逆に思います。
なぜかと言うと、それは今まで疑問に思わなかったことが疑問に思えてきたと言うことだと思うからです。それは、自分の中で考えが深まってきた結果、自分のわからないこと、という対象がはっきりとしてきた、ということを意味すると思うのです。
つまり、わからないことがたくさんあると気づいたと言うことは、わからないということがわからなかったときの自分と比べると、大きな成長がそこにあると言うことではないかと思います。疑問に思う力が備わってきたからと言えることなのではないでしょうか。
いま、学ぶチャンスが来た、ということですね。人にはいろんなステージがあると思いますが、いまがそのわからないことを学ぶとき、と言えるのではないかと思うのです。
わからないことが多い、と思っているあなたには、わからないことを理解したいという要求があるはずです。すなわち、学びたいという意欲ができてきたと言うことだと思います。
学ぶ機会があっても、心底学びたいと思わなければ、自分のものにはなりませんね。遊んでいたときというのは、学びたいとは思わなかったから。学びたいと思わなかったのだから、仮に、無理矢理勉強していたとしても自分の身についたかどうかは怪しいものだと思います。
それが、あのときもっと学んでいたら良かった、という後悔は、ほんとうは後悔すべきことではなくて、やっといまが学ぶときがきたんだという有り難いことなんだと思てみても良いのではないかと思います。
ここで後悔を感じてしまいますと、自分を責めることになります。遊んでばかりいた自分はダメなやつ、となります。でもね、そのときは、自分には必要ないと思ていたわけですから、責める必要はなにもないのです。
学んでおけば良かったと思ったいま、学べばいいのです。自分を責めることなく、いまがそのときなんだ、と思って欲しいと思います。
学ぶのに、遅すぎるということはないのです。学びたい思った時がそのときなのですね。「わからないことが多すぎて」と思う代わりに、学べる機会を得たことを喜びに感じて欲しいなと思います。意欲があるのですから、学びの吸収力が違うと思います。
きょうも、お読みいただきありがとうございます。
みなさまのしあわせをお祈りしています。